団の紹介



■ 横浜第87団の紹介 (団委員長 鈴木武道)



  
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横浜87団重点目標


■ 団の概要:


ボーイスカウト横浜87団は横浜市戸塚区吉田町を団本部として、JR戸塚駅周辺を活動の拠点とする地域団です。幼稚園年長児から大学生までの男女を対象に、「ちかい」と「おきて」の価値観に基ずきよりよき社会人を育成する青少年教育団体です。現在、当団に所属するスカウトが在籍する小学校は、戸塚小学校、東戸塚小学校、上倉田小学校が中心です。



■ 発団の歴史:


当団の歴史は、昭和48年(1973年)4月22日に、当時の横浜23団カブ隊第7隊が分封して、戸塚区吉田町周辺に住む小学生を対象に、横浜87団が発団しました。昭和48年(1973年)当時は、横浜87団は暫くの間カブ隊のみの小さな団でした。初代団委員長には横浜23団カブ第7隊隊長の北原一男さん、初代育成会長には横浜23団ローバー隊隊長の鈴木 武さん、初代団委員には横浜23団シニアー隊副長だった私、そして、初代カブ隊隊長には、坂口 章さん(現横浜129団BS隊長)がそれぞれ就任し、カブ隊のみの活動を吉田町と矢部町を中心に開始しました。



■ ボーイ隊の発足:


昭和50年4月には念願のボーイ隊がスタートし、藤野さんが初代ボーイ隊隊長となりました。しかしボーイ隊のスカウト数が7人と減少したため、暫くの間は横浜23団ボーイ隊に預かってもらう事で、何とか当団にボーイ隊を設置することができました。昭和54年からは私がボーイ隊隊長となり、隊員数も増え、本格的なボーイ隊の活動を開始することが出来ました。昭和57年からは米国でスカウト指導の経験の深いジョン・マッキンさんにボーイ隊長をお願いし、県内でも最も優秀なボーイ隊のスカウトのいる団となりました。



■ 横浜129団と分封:


ところが、昭和58年4月に、北原団委員長が高齢のため、故郷の信州に隠居するととになり、団員数140名にまで大きくなった横浜87団を、これを機会に横浜87団をJRの線路を南北に挟んで北側に住むスカウト、及び指導者を129団に分封し、当時カブ隊隊長だった坂口さんに横浜129団団委員長に、また、横浜87団の2代目の団委員長は、私が引き継ぐこととなりました。また、横浜87団育成会会長には、当時横浜市市会議員の有山睦男さんにお願いすることとなりました。



■ 団の自慢その1:


横浜87団の30年の歴史の中で特筆すべきことは、第1番目は、なんと言っても昭和61年(1988年)4月1日に、日本で最初のビーバー隊が横浜87団に承認されたことです。当時はカブ年齢未満(小学校1年生と2年生)のプログラムは日本にはなく、日本連盟のカブ年齢未満プログラム委員会で研究がやっと始まった段階でした。横浜23団矢野節道団委員長、横浜93団堀賢太郎団委員長(故人)そして横浜87団鈴木(令)ベンチャー隊長らが中心となり、カブ年齢未満のプログラムや活動はどうあるべきか、実際に小学校1,2年生の子供たちを集め、横浜87団(横浜23団、及び横浜93団と合同で)に実験隊を編成して、試行錯誤を開始しました。このときの活動の報告書が、後の日本連盟カブ年齢未満プログラム試行隊の発足につながり、昭和61年に日本にビーバー隊が始まった契機となりました。今のビーバー隊の制服、記章、進歩プログラム、歌、等は多くが横浜87団の試行の際のアイデアがそのまま採用されています。


■ 団の自慢その2:


2番目に特筆すべき点は、横浜87団は過去継続して「富士スカウト」を育てている実績です。スカウト運動の目的は、青少年を「社会で立派に通用する社会人」に一人でも多くの青少年を育てることであり、全ての活動やプログラムや進歩過程は、そのための方法です。そしてその最終目標が「富士スカウト」です。ところが、現実には「富士スカウト」を育てるための労力は並大抵のものではありません。その証拠に、日本で2桁の富士スカウトを育てた団は数個団しかありません。これは、当団指導者の大いに自慢をするところです。